2009年03月30日

きものの原風景

私にとって着物は普通に「着るもの」でした。
祖父が明治39年生まれの、まだ和服が日常着の人でしたから。

うちにいるときは夏なら浴衣、合いは長着、冬は丹前。
出かけるときは背広姿でした。
スーツでなく、あくまでも背広。

両親が共働きだったので、その祖父に面倒をみてもらっていた幼い頃。
テレビと言えば、大相撲か水戸黄門。
ほかのものは見た記憶がありません。

そして、その祖父と暮らしていたのが江戸時代末期に建てられた農家。
茅葺屋根の母屋と瓦葺の長屋門。裏には白壁の蔵。
二階もある比較的大きな家でした。
そのときは普通に暮らしていたのですが、あとになって同年代の友人と比べてかなり時代錯誤な暮らしだったと気づきました。笑

毎晩、竈の切ってある台所(うちでは水屋と言ってましたが)の小上がりで祖父の晩酌の相手をしていました。
小学校に上がる前だと思います。
相手といってももちろんお酒は飲めませんから、祖父の向かいにちょこんと座って燗酒をお酌するんです。
板の間に座卓。
座布団はあったかな? 記憶が定かではありません。


私は祖父と、祖父と暮らしたこの古い家が大好きでした。


私が小学校に上がってすぐに祖父は亡くなりました。
家は中学生のときに建て直しになりました。
もう、茅葺屋根が維持できなかったのです。
雨漏りと毎年かかる修繕費用と。

あの家がそのままだったらとは思います。
でも無理でした。
「かなり改築してしまっていたから諦めた。せめて自分が育ったときの形が残っていたなら、頑張って残したよ」
父もあの家を残したかったのだと後で知りました。

改築したのは祖父が亡くなる少し前。
改築したのは祖父。
父は改築には反対したのだそうです。

古い、いわゆる古民家で育って「うちのお祖父ちゃんってカッコイイ」と刷り込まれてしまったのですね。

そうこうしているうちに日本舞踊を習うことになって。
ますます着物に傾倒して行きました。
お稽古するには自分で着物が着られなければ困ります。
さすがに高校生くらいで自分で着物を着られる人は私の身の回りにはいませんでした。
人ができないことができる。そのことが嬉しかったのだと思います。
学校から帰ると自宅では着物に着替えていました。
かなり変わった高校生です。

母が嫁入りのときに持ってきた着物の中から化繊のものを譲ってもらって。
かなりの数を着潰してしまいました。

母も着物が好きで、行事の度毎に着物を着ていました。
私の入学式や卒業式。
お祝い事や不幸事。
普段は自動車屋の専務と農業に明け暮れる母でしたが、その反動でか着物が大好きでした。
いや、今でも大好きなんですよ。
数年前に腰を痛めてからは着ることが不自由になってしまいましたが。

お正月には桃割れを結って、振袖を着て、どこに出かけるでもなく家族と初詣に行く。
それが毎年の恒例でした。
日本舞踊の師匠も楽しかったのか、お正月に髪を結っていると良く引き着を着せてくれました。
ええ、どこに行くでもなく。誰に見せるでもなく。

おそらくこれが私の着物の原風景。



posted by しおみ at 01:42| 東京 ☁| Comment(2) | PROFILE | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
うちは 東京の下町だったけど 思い出として 重なる部分があります。 塩見さんの着物姿に 憧れるのは 小さい頃の わすれてしまった 記憶のせいかしら。
Posted by 若葉 at 2009年04月07日 12:55
やっぱり日本人のDNAに刷り込まれているのではないのでしょうか。
キモノを着る人も着ない人も、憧憬はあるのでしょうね。
若葉さんのいつものスタイルもかわいくて私は大好きですよん。
Posted by しおみ at 2009年04月15日 12:17
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